ストレス社会に疲れた人へ。そうだ、京都で坐禅&写経体験しよう

日常生活で積み重なる悩みやイライラを解消したいと、豪華な旅行やグルメにお金や時間を使うのは楽しいですよね。でも、お金や時間には限りがあります。そこで、提案です。時には刺激を求めるのではなく、自分の内面と静かに向き合うことで、煩悩を昇華してみてはいかがでしょう?
華やかなお庭の写真がInstagramなどのSNSで話題の京都・毘沙門堂 勝林寺。こちらで文筆家・ワクサカソウヘイさんが坐禅&写経体験をしてきました。

心頭滅却すれば38℃でもまた涼し?

なんだか疲れることの多い昨今です。

気温の変化は激しいですし、世の中の動きは慌ただしい。心をギザギザさせて暮らしを営んでいる人、たくさんいるのではないでしょうか。筆者もまた、その中の一人です。息抜きとして、何かしらのアクティビティを生活の隙間に練り込まなくてはなりません。 そんな折、こんなことを思いつきました。

「そうだ、坐禅はどうだろうか」

マンガやテレビ番組のコントなんかで見かける、静けさに満ちた部屋であぐらを組んで精神統一を図る、アレ。お坊さんが時折、長い棒でピシャリと肩を叩く、アレ。お寺とは縁遠い生活を営んできた身ですから、坐禅が果たしてどのようなものなのか、具体的なことはなにも知りません。
しかし、心と頭がオーバーヒートぎみになっている今だからこそ、心頭滅却的な印象に満ちている坐禅は、魅力的なアクティビティとして胸に 浮かび上がったのです。

その実際を確かめるべく、さっそく京都へと旅立つことにしました。

インスタ映えする華やかなお寺で

訪れたのは、京都市東山区本町にある東福寺塔頭 毘沙門堂 勝林寺。ここでは住職さんの指導のもとで、本格的な坐禅体験をすることができるプログラムが用意されているのです。
この日は、灼熱の太陽の日差しが打ちつける、うだるような暑さの日でした。汗をかきながら階段を上り、お寺の門をくぐります。するとそこには、花々が咲き乱れるように水面に浮かぶ手水舎(ちょうずや)がありました。そのあざやかで涼しげな光景を前にすると、心の中にスッと爽やかな風が吹いたようです。

勝林寺は小さなお寺ながら、丁寧に手入れされた庭園が美しい場所でした。木々の緑色の折り重なりがなんともまぶしいです。ここ数週間、せわしなくPCのディスプレイばかりを眺めていた自分にとっては、まるで異界か涅槃(ねはん)かというような景色に映りました。

窓口で坐禅体験の申込みをすると、開始までにはまだ少し時間があるとのこと。そこで、別に用意されていた写経体験のプログラムを先に試してみることにしました。

字が汚くても問題ない写経体験

通されたのは、本堂の隣にある部屋。長机がずらりと並べられています。すでに写経を体験中の人たちが、真剣な面持ちで書をしたためています。それにならい、椅子に腰を下ろして、筆を手に持ちます。書き写すのは、「般若心経」です。

仏教に関してからきし無知な人間である筆者は、般若心経というものにふれたことがほとんどありません。親戚の法事で何度か唱えられているのを耳にしたことがある程度です。意味は全然知りませんが「ぎゃーてーぎゃーてーはーらーぎゃーてー」の部分が印象的なリリックとして心に残ってはいます。

手本となる般若心経の冊子には、現代意訳が書き添えられていました。それを目で追い、経に込められたメッセージを読解しながら、自分の文字で写していきます。

はっきりいって、筆者は字が大変に汚い人間です。小学生の頃、習字の時間が何より苦手でした。「わ」と「ゆ」を上手に書き分けられないほどに、独特な筆遣いをしているのです。「ぬ」のカーブの多さに何度も涙を流したこともあります。平仮名ですらそんな有様なのですから、般若心経の約300文字の漢字を書き写すなんて至難の業です。最初はおっくうな気分で、筆を動かしていました。

約300文字の無重力空間体験

ところが、10分も経った頃でしょうか。何だか妙な感覚を覚えている自分を発見しました。まったくなじみのない般若心経ですが、書き写しているうち、軽やかな心地になってきたのです。端的に言えば、気持ちがいい。筆を走らせていることが、音のない快感として現れているのです。

例えばこれが、新聞や辞書を書き写す作業だったら、こんな有機的な気持ち良さは感じられないどころか、逆にどんどん頭が泡立っていたことでしょう。般若心経を写しているからこその快感が確かにあると思われるのです。小学校の習字の授業では感じたことのない、不思議な感覚です。自分の字は相変わらず汚いですが、そんなことはまったく気にならなくなりました。

どんどんと無心になっていきます。意訳が目にしみ込んでいき、なんとなくですが般若心経が言わんとしていることが感覚として理解できるようになっていきます。

それはつまり、非常にざっくりとした説明にはなりますが、「そもそも世界というものは実体がなく、確かな姿などどこにもない。だからそこに生きている私たちの心というものも存在などしておらず、何かに思い悩むということ自体も実は無なのである。要するに、すでに私たちは救われているのだ」という主張。
「空」こそが般若心経の真髄なのです。それは約300文字の無重力空間だったのです。

最後の一文字を書き終わったとき、静かな達成感に包まれました。コンパクトでありながらも密度のある宇宙をコピーし、そして自分の心の中に見事にペーストを完了したというような気分です。こんなにもコピペで充実感を得たことは、これまでに一度もありません。

写経が終わると、抹茶と水菓子をいただけました。
クーラーが設置されていない部屋でしたが、境内から庭へと吹き抜ける風が居心地の良さを作り出してくれています。そこに抹茶の清涼感が加わって、平穏の奥の平穏へとたどり着いたような気分です。「ああ、京都にいるんだな」という実感がしみじみわいてきます。

警策による「叩かれ心地」とは?

さて、いよいよ坐禅体験の時間です。畳の部屋へと移動し、敷かれた座布団に座ります。
若々しく説得力のある声を持った住職さんが登場し、これからすべき所作を説明してくれます。

「まず、あぐらを組んでください」

ここで推奨されるあぐらは、普段我々がやっているものとは少し違います。
両足のくるぶしの部分を、どちらも下のももにのせるという、やや難度の高いポーズが求められるのです。筆者は習字と等しく、小学生の頃から体育の時間も苦手だった体の硬い人間。悪戦苦闘しながらあぐらを組みました。

「まぶたを半眼の状態にしてください」

半眼、つまりまぶたのシャッターを五分の状態にするということです。どの仏像もよく見れば、「とろん」としたような目をしているわけですが、あれはすべて半眼なのです。つまり、「見るでもなく、見ぬでもない」という視界でこの世を臨むということです。写経の際に学んだ、「空」の実践であるといえます。

あぐらと半眼が完成すると鐘の音が鳴り、坐禅タイムのスタートです。

「何も考えず、雑念を浮かばせず、無心の状態を心掛けてください」

しかし、これがとても難しい。いかに心を落ち着かせ、半眼で視界のピントをずらそうとしても、あらゆる雑念が浮かんできてしまいます。半眼を続けているうちに寝てしまったらどうしよう、このあとに何を食べようか、自宅のガスの元栓は締めてきただろうか、バッファローとアメリカンバイソンって同じものなのか違うものなのか…。

今、めぐらせる必要はまったくない煩悩たちが、パレードのように列をなして押し寄せてきます。

こういうときこそ有効なのが、住職さんが持っている、例の棒です。正式名称は「警策(けいさく)」。それで肩を叩いてもらい、心の乱れを整えるのです。

こちらの勝林寺で使われている警策は、へら状のものでした。手を挙げてリクエストすることで、住職さんに肩を正面から打ちすえてもらいます。

ピシャリ。警策の音が和室に響きます。

子供の頃から「あの棒で叩かれるのは痛いのか、痛くないのか」ということがずっと気になっていたのですが、今、答えが出ました。まあまあ痛いです。

ただし、嫌な痛さではまったくありません。むしろ、スッと背筋が伸びるような、精度のある刺激です。煩悩が何度も強く浮かぶたび、手を挙げ、警策を求めました。ピシャリ、ピシャリ、ピシャリ。

15分でやってくる坐禅ハイ

鐘の音が再び鳴り、前半の15分の坐禅タイムが終了しました。
しばしのあいだの休息をとったのち、後半へと突入します。崩していた姿勢を、あぐらに直します。
2回目の坐禅でもまた、たくさんの煩悩が訪れます。ただ最中、前半にはなかった気付きがありました。思念の隙間に「空白」が現れるようになったのです。

そしてほんの少し、本当にほんの少しではあるのですが、自分が宙に浮いているような味わいのある感覚がやってきました。ランナーズハイというのは聞いたことがありますが、これは坐禅ハイとでも呼ばれるようなものなのでしょうか。もしくは、これこそが心頭滅却というものなのでしょうか。そうではなく、ただ単に眠くなってきているだけなのでしょうか。

非日常的でソフトな浮遊感に身をゆだねているうち、すべての行程が終了しました。後半も15分であったわけですが、前半よりも時の経ち方が早かった印象です。

住職さんの総括的なトークがあります。曰く、坐禅や般若心経の教えが目指すところは、「自分を知る」ということではなく、「自分の中に『空』があるのを知る」ということ。すなわち、何もかもは「ある」のではなく、「ない」のだと会得すること。それが救いにつながっていくということなのでしょう。

滅却の意味が、少しだけ理解できたような気がしました。

煩悩の滅却は千里の道

本堂から外に出ると、相変わらずの猛烈な太陽の日差しでした。
しかし、何だかさっぱりとしたものを感じながら、寺の階段を下りている自分がいます。スポーツをした後にシャワーを浴びたような心地です。蝉の声すら、爽やかに耳へと響いてきます。

写経や坐禅は、内面的なアクティビティであり、奥深いリラクゼーションでした。また日々の雑事に疲れたときは京都で「空」にふれようと、自分と約束しました。それは、実におもしろい体験であったのです。

そしてそのまま、背脂こってりが特徴的な京都ラーメンの店に突入しました。煩悩の滅却がまだまだ必要であることを、強く思い知りました。

●取材協力
大本山東福寺塔頭 毘沙門堂 勝林寺

住所 京都府京都市東山区本町15-795
写経・写仏体験時間 月~土曜 10:30~14:00
坐禅体験時間 11:30あるいは12:30開始
※詳しくはウェブサイトを参照ください
URL https://shourin-ji.org/

※感染対策に十分に配慮して取材および撮影を行いました
※2022年6月に取材しました

撮影/髙橋 学(アニマート)

 

執筆者プロフィール

  • 本稿は、執筆者が本人の責任において制作し内容・感想等を記載したものであり、新生銀行が特定の金融商品の売買や記事の中で掲載されている物品、店舗等を勧誘・推奨するものではありません。
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